ヨメが勝手にアラームを止めちゃうんです。【ヨメアラ】

通称「嫁アラーム」「ヨメアラ」。 子無し、金無し、貧乏暇なし。夫婦ふたり暮らしの平凡な毎日には笑いがいっぱい。末丸アキ がお届けするイラストエッセイブログです。 2020年春にヨメが円形脱毛症(多発性脱毛症)になり、現在治療中。通院の様子や経過を綴っています。

カテゴリ: 心が壊れた地獄の日々…

数年前に起きた千葉県野田市の栗原心愛さんの事件を憶えていますでしょうか? 「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」と書かれたアンケートを親に見られたことの恐怖…絶望感。勇気をだして書いたSOSがそんな結末になるなんて…。大人への信頼感が無くなる瞬間だったと思います。 あの事件報道を観たときに、自分の経験と重なって心が痛くなりました。 ボクが自分の経験を踏まえて言いたいことは3つ。 ①子供が出している些細なSOSに気付いてあげてください。 ②子供が求める解決と大人が考える解決は違いがあります。 ③ちゃんと話を聞いてあげてください。 自分が子供のころに受けた傷は、大人になった今でも残っています。 決して無くなることはありません。 この経験を数年前に初めてヨメに話しました。 絶句したヨメが「家って逃げ場ないじゃん?それって地獄だね…」と。 それが初めてこの体験が普通じゃないと感じるきっかけになりました。 当時は「虐められている」という認識はなく、今でも「虐められた」というより、ただ「つらい日々だった」という認識です。(ある意味それが日常だったからかも…) ...

ボクは中学に進学し、柔道部に入った。 これの選択は「強くなりたい」という心の現れだったと思う。 そして、別々に過ごした3年間でお互いに成長した。 ボクの身長は兄と同じくらいまで伸びた。 心の傷を隠せる程度に、精神的に回復することができていた。 3年後にまた実家で一緒に暮らすことになったのだが、普通の兄弟のようになっていた。 しかし、あの時の『地獄の3年間の日々』を話題にすることはない。 20年以上経った今でも、親にあの時の辛かった想いを話すこともない。 ...

地獄の日々の終わり 突然の地獄の終わり。 中学でいろいろ問題を抱えてた兄が、地元での高校進学を断念し、地方の高校に進学を決め、親戚の家に下宿することになった。 これによって、これから3年間はほとんど兄と会うことがなくなった。 ...

楽しかったこと 絵を描くこと。絵を描いているときは自分の世界に入り込めたから好きだった。あと、外で同級生と遊んでるときも楽しかった。でも帰る時間が迫ると怖くなったものも憶えてる。 ...

一番の恐怖 「告げ口」「報復」 親に「兄に虐められている」などと告げ口したら、もちろん親は兄を叱るでしょう。しかし、その後も兄と過ごし時間があるのです。「報復」は確実な恐怖だったので、直接的な言葉で助けを求めることができませんでした。「察してほしい」というのがあの頃の願いでした。 ...

兄の状況 兄が中学に入ってから始まった家庭内暴力ですが、兄も学校で何かしらの問題を抱えており、ストレスを感じているようでした。 そのストレスのはけ口として、弟への暴力になっていったのだと思います。 親へのSOS 出掛けようとする母親に「行かないでほしい」「家に居てほしい」と子供なりにSOSを出すこともありましたが、子供のわがままと取られてしまったのか、改善に至ることはありませんでした。 ...

毎日泣いて、おびえる夏休みの日々はボクを壊しました。 強烈な記憶の一つ。 昼間のテレビで笑ってる出演者を観て、「いいな…この人たち笑顔で…」と思うようになり、自分の存在を卑下するようになっていました。 多分、鬱状態だったんだと思います。 ...

当時の担任の先生と母親の会話にこんなことがあったそうです。 「末丸君は、私(先生)が面白いこと言ってクラスの全員が笑っているのに、末丸君だけ笑わない」 大人たちは、 年上の兄弟がいるから(兄の友達とばかり遊んでいるから)大人っぽいんだ。という認識だったそうですが、この頃のボクの心は病んでいました。きっと笑えなかったんだと思う。 ...

夏休みに入ると、共働きの両親不在で日中はずっと兄と二人で過ごすことになっていたのでした。 子供の頃の僕ら兄弟には絶対の上下関係があり、兄に逆らうことは許されませんでした。 「〇〇しろ!」「買ってこい!」「てめえ!」という命令と暴力が毎日繰り返されていました。 しかし、時折り優しくなる兄がいて…。 今思えば、兄の機嫌の良し悪しで毎日を過ごしていたんだと思います。 兄の機嫌が全てでした。 そして、この小4の夏休みにボクは壊れました。 ...

当時の記憶は昔のことだからか、辛い記憶のせいか断片的ですが、 強烈に憶えているのは、「帰宅したら、竹刀で殴られる」です。 この竹刀は父親が兄のために購入したもの。 (体も精神も鍛えてほしいという意味があったのでしょうが、道場に通うことはなかった) 竹刀で叩かれても、自分が何か悪いことをしたのかもしれないと思って、ただ泣いて謝り耐えていました。 それでも、親が帰宅する19時頃まで我慢すれば済むこと。親が帰ってくればいつもの日常に戻っていました。 しかし、本当の地獄は夏休み。 ...

ボクの地獄の日々は小4~6までの約3年間。 当時の記憶は昔のことだからか、辛い記憶のせいか断片的ですが、 強烈に憶えているのは、「帰宅したら、竹刀で殴られる」です。兄からの虐めが約3年間続くのでした。 #今苦しんでる君へ #stop自殺 #今、しんどい君へ ...

これは、ボクが子供の頃に経験した地獄の日々の物語です。 ※虐め、暴力のお話です。ボクには3歳年上の兄がいます。 末丸アキ(小4) 兄(中1) 両親は共働きで、小学校低学年から俗にいう“カギっこ”でした。 放課後は、クラスの友達と遊んだり、近所に住む兄の同級生たちと遊んだり子供らしい日々を送っていました。 そんな日常が地獄の日々に変わり、 兄からの虐めが約3年間続くのでした。 #今苦しんでる君へ #stop自殺 #今、しんどい君へ ...

これは、ボクが子供の頃に経験した地獄の日々の物語です。 ※虐め、暴力のお話です。ボクには3歳年上の兄がいます。 末丸アキ(小4) 兄(中1) 両親は共働きで、小学校低学年から俗にいう“カギっこ”でした。 放課後は、クラスの友達と遊んだり、近所に住む兄の同級生たちと遊んだり子供らしい日々を送っていました。 そんな日常が地獄の日々に変わり、 兄からの虐めが約3年間続くのでした。 #今苦しんでる君へ #stop自殺 #今、しんどい君へ ...